静かにしてと言っても、またすぐに歌いだす
あなたがもしアダルトチルドレンだと自覚されているなら、できるだけ静かな環境に身を置きたいと思っていませんか?
私自身幼い頃から親に非常に気を遣っていました。
そして、親の夫婦ゲンカや親戚とのいざこざなどで親の愚痴や怒鳴り声を聞いてきたからか、せめて自分の結婚した家庭では静かで穏やかな環境に身を置きたいと痛切に願っていました。
ところが…
今子どもと一緒にいると、子どもが鼻歌や歌を歌いだすようになってきました。
それもまあまあ大きな声で。
もちろん愚痴や怒鳴り声ではないのですが、だんだんその歌声が耳に障り、気になり始めてきました。
そして、ちょっと静かにしてくれる、と言ってしまったことが何度かありました。
最初は静かにしてくれるのですが、しばらくするとまた鼻歌か歌を歌いだします。
絵を描きながら、勉強をしながらなど。
こちらに余裕がないと、正直静かにしたいのに、とイライラしてしまったこともありました。
もしかして子どもなりにリラックスできているのかも…
むやみやたらに怒ってしまうのは親子関係を悪くするので、なぜ子どもは注意をされてもまたケロリと歌えるのか深く考えてみました。
ふと自分の子ども時代を思い出すと、そんなに親の前で気持ちよさそうに鼻歌や歌ったりできたことはほとんどなかったのでは、と気付かされました。
親に非常に気を遣っていたのもあり、大きな声で鼻歌や歌っていたりしたらきっと怒られていたからだと思います。
しかし子どもはそうではない。
平気で鼻歌や歌を大きな声で歌う。
単純に子どもだから、ということもあると思います。
基本的に子どもは無邪気に一瞬一瞬を楽しみますよね。
そうするともしかして…子どもなりにこの家でリラックスしているのかもしれない、とも考えました。
だとしたら、それはとてもありがたいことなのでは、と思いました。
幸せの音
その気付きがあってからも、特に自分に余裕がないときや疲れているときは子どもの鼻歌や歌を聞くと正直もっと静かにしてほしいと思うこともあります。
よほど気になるときは、なるべく穏やかに私はこう思う、という形で静かにしてほしいことを伝えるようにしています。
しかし「ああ、子どもなりのリラックスの表現なのかもしれない」と、以前よりまず一歩引いて考えられるようになってきました。
そして、たまに子どもの鼻歌や歌によく耳を傾けてみます。
そうすると、ああ、今学校でこんな歌を習っているのか。
良い歌だな、とか自分も歌ったなと懐かしく感じることができます。
また、これは車でよく聴いている歌だな。
子どもはあっという間に覚えるな、と感心することもあります。
その歌いいね、と褒めると、近くに来て楽しそうに歌って聞かせてくれるようにもなりました。
さらに子どもがこの歌知ってる?と聞いてきて、歌に関する親子の楽しいコミュニケーションも増えてきました。
私自身は子ども時代家でリラックスできた経験がほぼないので、自分の子どもが気持ち良さそうに鼻歌や歌を歌えるのが何だか不思議な気持ちがします。
ただ子どもが自由に感情を表現できる環境を少しでも自分たち夫婦が作り出せているのなら。
それは望外の喜びなのではないかと、子ども時代の非常に親に気を遣っていた自分を思い出し、しみじみと思いいたりました。
また、ふと、こういう風に楽しそうに鼻歌や歌を歌を歌ってくれるこの時間が非常に貴重なものに思えてきました。
なぜならいずれは子どもは巣立っていくからです。
アダルトチルドレンの方はなるべく静かな環境を望みがちです。
私もそうでしたし、今でもそうです。
しかし、子どものさまざまな音もときには「幸せな音」として捉えられるようになれたなら。
もっと親子の良いコミュニケーションと幸せが増えるかもしれません。