「我が子へのマナー」第20回

草原で幸せそうな笑顔ではしゃぐ女の子

人生を肯定できずに生きてきた私

私は、典型的なアダルトチルドレンパパです。

子供の頃から、しんどい思いをたくさんしてきました。

生きるのがつらすぎて、大人になってからは、みずから命を断とうとする自分と、どうにか折り合いをつけてきました。

当然、人生を肯定できずに生きてきました。

それは今でも、あまり変わりません。

ただ・・・。

そんな私でも、人生を「全肯定」できる瞬間がありました。

それは、世間でよく言われるような「最高の幸せ!」や「最高の快感!」といったものを味わったわけではありません。

つまり、こんなにいいことがあるから人生は生きるに値するのだという、「人生の大きなメリット」を体験したわけではないのです。

それは、ある一枚の写真を見たときに起きたことでした。

人生を「全肯定」してくれた一枚の写真

その写真は、我が子の写真でした。

我が子が、保育園で「しっぽ取り」をしているときの写真。

お尻につけたハンカチを「しっぽ」に見立てて、みんなで取り合うゲーム。

その写真の中で、我が子は幸せいっぱいの笑顔で、取った「しっぽ」を高々と掲げていました。

私はその写真を見たとき、自分の人生が「全肯定」されるのを体験しました。

我が子がこの笑顔になるためには、どうしても私の人生が「必要」だった。

我が子がこの瞬間に、この場所で、この人たちと、この笑顔になるためには、中身はどうあれどうしても私の人生が「必要」だったのだ、と。

それは、生まれてきてよかったとか、生きててよかったという種類の感覚ではない。

「我が子の笑顔を見るのが私の幸せ」という美談でもない。

つまり、自分が人生から受け取れる「大きなメリット」を感じたわけではない。

ただ、生まれてきて生きる「必要」があったのだなという「納得」の感覚。

我が子がこの瞬間を迎えるためには、中身はどうあれ、私の人生がどうしても「必要」だったのだという、深く濃密な「納得」の感覚。

そう、人生の中身の是非はどうでもいい。

ただ我が子が、この「幸せな笑顔」になるためには、私が生まれてきて、生きることがどうしても「必要」だった・・・。

そう納得して、私の人生が「全肯定」されたのです。

そして今でも、我が子の幸せそうな笑顔を見るたび、私の人生は「全肯定」されます。

とてもつらく苦しい人生だったけど、なんとか命を投げ出さずに生き抜いてくる「必要」はあった。

私が生まれてくる「必要」は、確実にあった。

そして、そんなふうに自分の人生が「全肯定」されるたびに、我が子への感謝の気もちが溢れてくるのです。

生まれてきてくれて、ありがとう。

そして幸せでいてくれて、ありがとう・・・、と。

おすすめの記事