「我が子へのマナー」第21回
保育園見学でタイムマシンに乗った気分に
保育園は「昔ながら」の教育方針のところがありますよね。
言ってみれば、私たちが子供のときのような窮屈で抑圧的な教育方針の園が、たしかにいまだにあります。
保育士さんは、どなたも親身に子供をみてくれています。
ただ、その園自体が「昔ながら」なので、こればかりは、保育士さんがいくら頑張ってくれてもどうにもならない。
さらに、スマホとYouTubeとAIの普及で、既存の学び方や働き方が大きく変わった昨今。
そんな「昔ながら」の保育園と我が家の教育方針とのギャップが、さらに大きくなったと感じている親御さんが、あきらかに急増しています。
とくにアダルトチルドレンパパママさんは、自分が幼いころから抑圧されてきた方が多いです。
そのため、「昔ながら」の保育園に我が子をあずけることは避けたいと、強く感じている方が少なくありません。
私も我が子が保育園に入園する前、いろいろな保育園を見学しました。
壁に貼られた「全員同じ絵」や、全員一斉に「こんにちは」と言っている子供たちを誇らしげに見せる園長さんもおられました。
その数十年前との「変わってなさ」に、タイムマシンに乗った気分になりました。
そういう抑圧的な集団生活に馴染めなかった私の遺伝子を受け継いだ我が子を、ここに預けて大丈夫だろうか。
アダルトチルドレンパパである私は、そんなふうに心配になったことを覚えています。
保育園ごとに大きな差があるのに保育園を選べないという不安
しかも、さらに私たち親を不安にさせるのが、保育園ごとに教育方針に差が大きいということです。
先生たちも同じ服を着て「みんな一緒」を徹底している園もあれば、異年齢児保育でとにかく個性を伸ばそうとする園もあります。
どこに預かってもらうかによって、子供の成長に大きく差が出るように親は感じますから、必死で保育園を見学します。
にもかかわらず・・・どこに入園できるかは自治体が決めるという矛盾した現状があります。
これは親からすると、本当に不安です。
その点、学校も「昔ながら」ではありますが、公立であればどこも一律に「昔ながら」ですよね。
まあ、多少のあきらめもつきやすいでしょう。
しかし、保育園は民間が運営しているところばかりです。
学校よりも、保育園の方が教育方針の差が生まれやすい状況なのです。
その結果、「昔ながら」の窮屈な保育園に入園し、我が家の教育方針と違ってしまったら・・・。
いったいどうすればいいのか、アダルトチルドレンパパママは悩んでしまうのです。
我が子を思うあまり園の教育方針を否定してしまう
ここでアダルトチルドレンパパママさんが、我が子を思うあまり、やってしまいがちな対応があります。
それは我が子の自由のために、園と掛け合うこと。
自分が親にしてもらえなかったことをしてあげようと、意を決して園に「もっと自由にしてもらいたい」と進言するのです。
とても勇気ある行動です。
一人の保育士さんの行動をあらためてもらうなら、なんとかなるかもしれません。
しかし、保育園全体の教育方針についてあらためてもらうのは、園からするとその園の存在自体を否定されていることになります。
おいそれとは受け容れてもらえないですよね。
そこで園側とギクシャクしてしまい、結果的に、我が子の他の要望について言いにくくなってしまったり、聞き入れてもらいにくくなってしまうケースが多いのです。
これはまさに「自由に育てなきゃ症候群」の一つのパターンだと言えるでしょう。
我が子には、自分と違い自由に育って欲しい。
その思いが強すぎて、逆効果になってしまうわけです。
言うまでもないことですが、当然、抑圧がひどすぎたり子供が委縮したり悲しんでいるなら、園側の対応を求めることは必要なことです。
それはしっかり伝えていきましょう。
昔ながらの教育方針を我が子の将来に活かす方法
保育園自体の「昔ながら」のあり方を変えてもらうというのは、現実的には難しいですよね。
ここで重要なのは、昔ながらの価値観と対立することではありません。
我が子に、その昔ながらの価値観も「選択肢の一つ」なんだよと教えてあげること。
つまり、この世界に価値観は無限にあるということを伝えていく。
たまたま今いる保育園では、そのなかの一つの選択肢を採用しているにすぎないことを伝えていく。
そうして、子供の「メタ視点」を広げてあげること。
子供が広い視野で世界を眺めるきっかけを創ってあげることが大切だと私は考えています。
それを子供にしっかり伝えていけば、保育園で身に着けた昔ながらの価値観を「正解」だと思うことはないでしょう。
抑圧されても、素直に「これイヤだな」と思えるはずです。
アダルトチルドレンパパママさんは、「これイヤだな」と思うことさえ禁止されてきました。
そして必死に「正解」に自分を合わせようと、とことん無理して生きてきましたよね。
「正解」に合わせるしか選択肢はない。
「正解」に合わせられない自分はダメな人間なのだ、と。
それはとても苦しい人生だったと思います。
私も同じ苦しみを味わってきました。
しかし、もし「正解」に合わせるとしても、「これ本当はイヤなんだよな」と自分の気もちをわかったうえで合わせるとしたら。
限界がくれば素直に「やりたくない」と言えるでしょう。
そして、自分に合った生き方を自分なりに見つけていくことができます。
重要なのは、我が子の自由を阻害するものと真っ向から対立することではない。
そういう価値観もあるのだと、我が子に教えてあげること。
そして将来、さまざまな価値観のなかから自分に合う価値観を選べるように心を育むこと。
さらには、自分なりの価値観を自分で生み出せるようにしてあげられることではないでしょうか。
じっさいにカウンセリングの現場でも、この対処法で、お子さんの価値観の視野の広げることができたと感じているアダルトチルドレンパパママさんがたくさんおられます。
とにかくいろいろな価値観があるのだということを、メタ視点で眺められるようにサポートする。
それが、昔ながらの保育園に通うという一見ネガティブな経験を、我が子の将来に活かせる一つの方法だと私は考えています。