「我が子へのマナー」第19回
親に手を差し伸べる日々
アダルトチルドレンパパママさんは、子供時代に、自分の親からいろいろなことを求められてきました。
その「いろいろなこと」の内容はさまざまです。
それは、学校の好成績であった人もいます。
親の機嫌が悪いときの、はけ口となってあげることだった人もいます。
親の自慢話を聞いてあげることだった人もいます。
有名企業への入社だった人もいます。
それは言わば、親を満足させるための奉仕。
言い換えれば、親に手を差し伸べる日々だったとも言えるでしょう。
子の踏み台となり犠牲となるのが親であるはずなのに、逆に親の踏み台として子を犠牲にする。
子は、その不条理な状況を知るよしもなく、ひたすら親に手を差し伸べつづける。
それはとても過酷な日々です。
母親を理解し、母親の承認欲求を満たしつづけた女性
ご自身をアダルトチルドレンママだと自覚されている加藤さん(仮名)の場合、それは親の「承認欲求を満たしてあげること」だったそうです。
とくに、母の苦しみを「理解する」ことを強く求められてきた。
加藤さんの母親は、人とのトラブルが絶えず、実の親や兄弟姉妹も含めたすべての親戚から縁を切られてしまうほどの人物でした。
さすがに見かねた加藤さんが手を差し伸べて、かたくなになる母親に理解を示したところ、母親は、
「あなたに理解してもらったことなんて一度もない」
と恨み言を吐いてヒステリーを起こし、ついに唯一の味方であった加藤さんからも見放されてしまいました。
母親は、自分が本当に苦しくて理解してもらいたかったときに、加藤さんに理解してもらえなかったと言いたかったのでしょう。
今、加藤さんはご自身が親になって、つくづくその母親の発想がいかに「おかしなこと」であったのかと実感しています。
少なくとも加藤さんは、我が子に自分を理解してもらおうとは思わない。
というより、「理解してもらう」という選択肢自体が存在していないのです。
親は「子を理解する側」であって「子に理解してもらう側」ではない。
親の都合でこの世に生まれてきてもらったうえに、さらに理解してもらおうなんて、ムシがよすぎる。
申し訳なさすぎて、想像することすらはばかられると感じているのです。
母を捨てた日
そんな加藤さんも以前は、なんとか母親を理解してあげたいと必死でした。
どんどん孤立していく母親に、なんとか手を差し伸べてあげたいと、忙しい仕事の合間をぬって奔走していました。
そして、母親をなんとか助けてあげられないかと、信頼できる大先輩の女性にその悩みを打ち明けました。
どうしたら、苦境におちいった母に、手を差し伸べてあげられるだろうと。
すると・・・。
その女性は突然、ふだんの温和な人柄からは想像がつかない厳しい顔つきと口調で加藤さんに言ったのです。
「なんであなたが手を差し伸べてあげなきゃいけないの?手を差し伸べるのは親の役目でしょう!」
加藤さんは、天と地がひっくり返る思いがしました。
加藤さんは子供の頃から、子が親を理解してあげるものだと思い込んでいました。
いや、正確に言うと、その自覚すらなかった。
当たり前のように親を理解してあげよう、親の承認欲求を満たしてあげようと手を差し伸べつづけてきた。
そしてその記憶が、次から次へとあふれ出てきたのです。
子供の頃、夫婦喧嘩をして泣き崩れる母を、「お母さんは悪くないよ」と頭を撫でながら寝かしつけてあげたこと。
ハサミをもって父に襲いかかる母の前に立ちふさがり、体を張って止めてあげたこと。
幼い頃に母に屋上に閉じ込められ、泣きわめく加藤さんの姿を、ニヤニヤと勝ち誇るように眺めさせてあげたこと。
気に入らないとヒステリーを起こし、加藤さんの部屋のものを絶叫しながら投げ散らかす母を、黙って見ていてあげたこと。
自分の間違いを指摘されると、加藤さんの方が悪かったと泣いて認めるまで、容赦なく嫌味と人格否定の言葉を投げさせてあげたこと。
加藤さんが泣いて謝っても、鼻で笑いながら非難の手を緩めない母に、いつもひたすら自分の非を認めつづけてあげたこと。
加藤さんが大人になっても夫婦喧嘩をつづけ仕事中に電話してくる母の愚痴を、いつまでも聴いてあげたこと。
突然、無謀な起業をした親から助けを求められ、自分の仕事とかけもちで体調を崩しながら毎日親の事業を手伝ってあげたこと。
交通事故にあった両親の看病をしながら、親の会社にかかってくる返済の電話に謝りつづけ、会社をたたむために寝ないで走り回ってあげたこと。
交通事故の保険の話をなんとかつけ、親にその保険金がおりてることを隠されても、見て見ぬふりをして毎月仕送りしてあげたこと。
生活に困っているという母が、じつはその仕送りのほとんどをネットワークビジネスにつぎ込んでいることを知っても、知らないふりをして仕送りをつづけてあげたこと。
加藤さん自身の生活が、とっくに破綻していたにもかかわらず。
それが、加藤さんにとっての当たり前だった。
それが、加藤さんにとっての「子の役目」だった。
しかし、大先輩の女性の一言で、それがいかに「おかしなこと」であったのか、ようやく気付いた。
そのとき加藤さんはもう、30代も半ばになっていました。
すでに、心身はボロボロで、人生はズタズタでした。
その後すぐ、母親から「あなたに理解してもらったことなんて一度もない」と言われて、加藤さんは気がついたのです。
「ああ、私はこの人に関わっていたら、一生この人に人生をかき回されて終わるんだな」と。
その瞬間加藤さんは、世間でもっとも信頼できると言われている「自分の母親」という存在を、じつはもっとも信頼していないことに気づきました。
そうして、加藤さんは母を捨てました。
それはとても晴れやかで、まるで大空に飛び立つ鳥になったような気分でした。
ようやく自分の翼を広げることができた。
いえ、自分に翼が生えていることを、そのとき初めて知ったのです。
親とは子に翼が生えるまでの使い捨ての羽根である
私も、加藤さんと同じような境遇で長年生きてきました。
そして同じように親となりました。
私は、我が子にとって「使い捨ての羽根」でありたいと思います。
我が子に翼が生えるまで、我が子が飛び続けるための羽根。
やがて我が子に立派な翼が生え、飛び立つその日に、躊躇なく捨てられる羽根でありたいと願います。
決して我が子の体にいつまでもぶらさがり、その高らかな飛翔の邪魔をしたくない。
それは経済的な世話になりたくないとか、介護をさせたくないといった生活上のことよりも・・・、
「子が親を理解しなければならない」という極度に不条理な足かせを、我が子の心にかけることだけはしてはならないという、切実な誓いです。
それは私の願いというレベルではなく、条理として存在しえないことなのだと実感しています。
それが本当に、基本的で最低限の「我が子へのマナー」だと、痛切に思うのです。