「我が子へのマナー」第22回

両親にかわいくお辞儀をする幼い女の子

アダルトチルドレンが子育てをして悩むことがあります。

それは「感謝」の問題です。

うまく「感謝」について教えられない。

なぜなら、アダルトチルドレンはこの「感謝」というものの扱いが非常に苦手だからです。

自分では感謝してるつもりが、ただ単に相手に気に入られるために迎合しているだけだった。

本当は怒っているのに「ここは感謝するべきだろう」と、本心を押さえつけて相手に頭を下げる。

そんなことも少なくありません。

わかっていてやっているのなら、まだ対応のしようもあるのですが、本人も感謝しているのかどうかよくわからない。

なんなら相手の方がよくわかっていて、迎合だと見透かされて、いいように利用されてしまうことも多いです。

そのため、子供に対しても「感謝」についてうまく説明できないのです。

アダルトチルドレンパパママが「感謝」で悩む原因

なぜそうなってしまうのでしょうか?

アダルトチルドレンだと自覚されている方は、幼少の頃から、親に感謝を強要されてきた方が少なくありません。

たとえば、ご飯をつくること、お金を稼いでくること、掃除・選択をすること。

そんなものは、親ならして当たり前のことなのに、いちいち感謝を強要される。

感謝しないととても面倒なことになるので、積極的に感謝している姿を見せようとする。

そんなことが毎日毎日、何年も何年もつづくことで、自分が本当に感謝しているのかわからなくなってしまう傾向があるのです。

感謝がそのありがたさを伝えるためのものではなく、「その場を安全にやり過ごすためのツール」になってしまっているわけです。

これは非常に苦しい状況です。

世間的には感謝した方がいい場面ではあるが、果たして・・・

さらに苦しいのは、子育ての現場においてです。

子供の行動を見ていても、スムーズに感謝をうながしたり、注意したりできない。

世間的には感謝した方がいい場面ではあるが、果たして・・・。

まだ幼いないし・・・、口うるさく言うと委縮しちゃうかもしれないし・・・。

そもそもこれは感謝ではなく迎合ではないのか・・・。

と、迷ってしまうのです。

自分が感謝のしかたを間違えるぶんには仕方ないと思えますが、ことは大切な我が子です。

そのせいで子供が四面楚歌にでもなったら、かわいそうすぎる。

でも、自分でもよくわからない「感謝」についてどう教えていけばいいのか・・・。

世間のガサツな人たちは、

「そんなもん、とにかく感謝しろって言っておけばいいんだよ」

「自分で考えさせりゃいいじゃん、痛い思いしてそのうち覚えるよ」

「感謝は常識なんだから、ちゃんと教えてあげないと」

と、<アダルトチルドレンがわかっちゃいるけどできないこと>をアドバイスしてきます。

なので、まったく参考にならない。

そうして日々の生活のなかで、アダルトチルドレンパパママさんは、人知れず悶絶しているのです。

私が「感謝」についてスムーズに子供に話せるようになった理由

かう言う私もその一人。

自分の感謝の念(というか感情自体)がよくわからずに生きてきました。

だから我が子に対しても、どう対応したらいいかしきりに悩んできました。

ただ、今はいったんこうしようと決めています。

それで、感謝についての心の葛藤も減りました。

さらに、子供にも感謝のタイミングについてスムーズに言葉が出るようになりました。

ではいったい、なにを決めたのかというと・・・?

それは「人ではなくコトに感謝しよう」と伝えると決めたのです。

私たちは、たいていの場合、感謝は人に伝えるものだと思っていますよね。

「〇〇さんに感謝しなさい」

「〇〇さんに、ちゃんとお礼を言いなさい」

大人たちからもそう言われてきました。

とても大切なことです。

でもね・・・。

私は、人よりも先に「コト」に感謝する方が大切だって思っているんです。

たとえば、夕飯を用意したもらったとき。

用意してくれた人に感謝することが大切だと思います。

でもまずは、そこに夕飯があるコトに感謝する。

夕飯を食べられるコトそれ自体に感謝する。

その「得難さ」に感謝する。

それが大切だと思うのです。

自分ではいっさい育てていない米と野菜と、自分では殺さずにすんだ肉と魚が、自分で運びもせず、自分で品質調査もせず、自分で調理もしてないのに、目の前に並んでいて食べられること。

この「得難さ」をまずしっかりと噛みしめる。

そうしてはじめて、それを実現してくれた「人」に心から感謝できるのではないでしょうか。

私はいつしかそう考えるようになっていたのですが、あまり自覚していませんでした。

ただ、そのことにふと気がついたとき。

感謝についての葛藤がほとんどなくなり、子供にもスムーズに感謝について話ができるようになったのです。

「パパ、ごはんつくってくれてありがとう」と言われたら

食卓に並ぶ料理を見て喜ぶ男の子とそれを見てほほ笑む父親

無理に感謝の念をもとうとするのでもなければ、社交辞令で感謝するのでもない。

まずは、目の前にある「事実」という得難いコトをそのまま見る。

私は、子供にそのことを伝えるようにしています。

たとえば夕飯のあと。

子供が「パパ、ごはんつくってくれてありがとう」と言ってくれることがあります。

もちろんとてもうれしいので、「そういってくれてありがとう」と素直によろこびを伝えます。

ただ、同時にこうも言うのです。

「パパに感謝してくれるのもすごくうれしいけど、食べられるコトそのものにも感謝しようね」

と。

幼い我が子に、その真意はまだ伝わっていないかもしれません。

そんな理屈っぽい言われ方しても、どうしたらいいかわからないかもしれません。

でも、人に感謝しようっていうのは、どこに言っても誰からも言ってもらえるじゃないですか。

だったらお父さん一人くらい、「コト」に感謝しようねって理屈をこねてもいいんじゃないでしょうか。

きっとそれは我が子の心に残って、やがてわかる日が来るかもしれない。

そのときメタ視点が大きく広がり、生きているコトそのものに深く感謝できるようになるといいな。

そんなふうに思っています。

おすすめの記事