我が子へのマナー第6回

┃「自由に育てなきゃ!」と必死になった結果・・・

我が子を「自由な子」に育てたい。
 
そのために、親子で苦しんでいる方たちがいます。
 
とくに、アダルトチルドレンだと自覚されているパパママさんとそのお子さん。
 
いったいなぜ苦しんでおられるのでしょうか?
 
それは「自由に育てなきゃ!」と必死になりすぎて不自由になっているため。
 
また、親御さんが決めた「自由の定義」にはめられて、お子さんも不自由になっているためです。
 
つまり、
 
「自由であるべき」
「自由でなければならない」
 
という不自由におちいってしまい、親子ともに苦しんでいる方のご相談が増えているのです。
 
私はこれを、「自由に育てなきゃ症候群」と呼んでいます。
 
たとえば、まだ幼い子に、とにかく「自由に決めなさい」と自分で決めることを強要してしまう。
 
それに耐えかねて子供が癇癪を起すと、「自由にさせてあげなきゃ」と親はひたすら笑顔で受け止めようとする。
 
しかし・・・、我慢が限界を迎え子供に怒りを爆発させ、ヒステリックな言葉を投げつけ、子供は大泣きする。
 
これをくり返し、やがて子は親を警戒するようになり、親は、
 
「こんなはずじゃなかったのに・・・」
 
と自分を責めてうなだれる。
 
こんな苦しい状況におちいっているご家庭が、アダルトチルドレンを自覚している親御さんの家庭に増えていると実感しています。
 
 

┃「自由な子」を育てるのが難しい本当の理由

ぼんやりとした月明かりの草原を歩く家族

そもそもなぜ、アダルトチルドレンパパママは、お子さんを「自由な子」に育てることにこだわるのでしょうか?
 
それはもちろん、自分が「ガッチガッチの不自由」な環境で育ったからでしょう。
 
だからこそ、我が子には同じ思いをさせたくない・・・。
 
当然の親心ですよね。
 
私も同じアダルトチルドレンパパとして、心の底から共感します。
 
ただ・・・。
 
ここで重要なポイントがあります。
 
それは、私たち親の側が「自由」な子育てを知らないということ。
 
親自身が不自由に育てられ、「自由な子育て」をまったく体験したことがないということです。
 
つまり、経験もお手本も実感もないまま、イメージだけを頼りに「自由な子」を育てようとしている。
 
これこそがアダルトチルドレンパパママが、「自由な子」を育てる難しさなのです。
 
たしかに、子育てはみんな、練習なしのぶっつけ本番です。
 
結局は見よう見まねでやるしかありません。
 
だからこそ、自分の経験や、自分の親という手本や、自分の実感を頼るしかありません。
 
それを活かすことができない子育ては、まさにぼんやりとした月明かりを頼りに夜の森を進むようなもの。
 
アダルトチルドレンが「自由な子」を育てるのは、目的地だけがハッキリしている、とても難しい行為だと言えるでしょう。
 
 

┃「自由の定義」が曖昧なまま「自由な子」を育てようとしてしまう

それでも「自由な子」という目的地がハッキリしているのなら、まだいいほうだと思います。
 
つまり、親御さんが自由の「定義」をハッキリもっているのなら、いい方だということですね。
 
じっさいには、かんじんな自由の「定義」がハッキリしないまま「自由な子」を育てようとしている親御さんも多いのです。
 
親御さんが、自由というものをぼんやりとイメージしているていどで「自由に育てたい」とおっしゃっている。
 
お子さんは当然とまどいます。
 
なぜなら、日によって自由の意味が変わるからです。
 
自由といってもさまざまな捉え方がありますよね。
 
よく言われるものだけでも、大きく二つに分かれます。
 
1.「~からの自由」
不自由な状態から「解放される自由」です。
 
2.「~への自由」
あらゆる選択肢の中から自分で「決める自由」です。
 
これだけでも、大きな違いがあります。
 
また、「自由には責任がともなう」ともよく言われます。
 
果たして幼い子にその「責任」が取れるのか。
 
カウンセリングでお話をうかがうかぎり、これらの最低限の「自由の定義」すら考慮せずに、「自由な子」を育てたいとおっしゃっている方が多いのがじっさいの状況です。
 
 

┃キングコング西野氏を育てる覚悟がありますか?

アダルトチルドレンパパママは、自分が自由な子育てを体験していません。
 
それを実践するのは、相当の覚悟が必要です。
 
たとえば、自由に育った方の典型としてキングコング西野さんがよく挙げられます。
 
西野さんは、子供の頃、道路に下品な落書きをして、ご近所から怒鳴りこまれたとのこと。
 
そのときも、西野さんの親御さんは怒ることなく、職場から大量の紙をもってきてくれて、これに思う存分書くようにススメてくれたそうです。

参考記事
キングコング西野、道路に落書きすると…父親の行動に「なんて親だ!」
 

一般的な親御さんに、これをやる覚悟があるでしょうか。
 
しかも、一度や二度ではなく、これを子供が自立するまでの十数年間やりつづける覚悟が。
 
さらにこれを、生きるのに精いっぱいで余裕ないアダルトチルドレンである私たちにできるかと問われれば・・・。
 
私には無理です。
 
自由な子を育てるには、「アダルトチルドレンでありながらここまでやる覚悟」が求められるということでしょう。
 
 

┃不自由を経験しているからこそ自由の価値がわかる

では私自身、「自由な子」に育てることをあきらめているかと言われれば、そんなことはありません。
 
私なりに、できるかぎり自由であって欲しいと思い、それを子育てに反映しています。
 
ただ、そこまで自由にこだわっていません。
 
なぜなら、不自由にとらわれているところから脱け出すところにこそ、自由の醍醐味がある。
 
そう考えているからです。
 
自分で勝ち取った自由だからこそ、自由を存分に豊かに感じられる。
 
自分で獲得した自由だからこそ、人生を豊かにしてくれる。
 
はじめから自由だったら、自由の価値を骨身にしみて感じられないでしょう。
 
不自由を経験しているからこそ、自由の価値が腹の底からわかるのではないでしょうか。
 
私自身、脱世間起業をして自由を満喫しています。
 
毎日「夢のようだなぁ~」と思いながら心地よい人生を生きています。
 
しかし、それはガッチガチのルールに固められた不自由な生き方を体験してきたから。
 
自分には合わない生き方にとらわれて生きていたから。
 
そして、そこから自分で「脱世間起業」という自由を勝ち取ったからです。
 
我が子に私と同じように育って欲しいと言うには、あまりに過酷な人生でしたので、それは望みません。
 
ただ、不自由の窮屈さや不便さ、そこで感じる不満はそれなりに体験して欲しい。
 
そして、そこから自分で脱け出して、ぜひ自由のよさを腹の底から味わってもらいたい。
 
そう考えています。
 
 

┃自由に育った子が苦しむ国、日本

さらに、「自由な子」に育てすぎてしまうと、お子さんが苦難に巻き込まれることもあります。
 
これもよくご相談でお聴きするケースです。
 
自由に育てられているお子さんが、ルールでガッチガチのこの日本社会に馴染めないのです。
 
つまり、「自由な子」と「ルール至上主義の日本社会」とのギャップに苦しめられてしまう。
 
多くの日本の学校や組織は、「自由な子」を受け入れられるほどフトコロが深くないのです。
 
もちろん、そのような風土の学校や国に移籍できればいいでしょう。
 
でも、その準備がすぐにできたり、家計がそれを許すご家庭ばかりではありません。
 
せっかく、親とは違う楽しく自由な学生生活を送らせてあげたいと思った。
 
にもかかわらず、逆に苦しむはめになってしまった。
 
親御さんとしては、本当にいたたまれない思いです。
 
たしかに、そんな日本社会のなかでも、自由にふるまって我が道を進める子もいます。
 
でもそれは、育てられ方よりも、「なにを言われてもあまり気にしない」という本人の気質による場合が多いでしょう。
 
あえてわかりやすく言えば、たんにその子のメンタルが「図太い」からだということです。
 
自分の子にそんなマレな気質がそなわっていないのなら、自由に育つからこそ待ち受けている苦難についても、親はあらかじめ準備しておいたほうがいいでしょう。
 
 

┃子供の6~7割は自由が苦手?

空を飛ぶながら恐がっている女の子と男の子

ここで一つ、あなたと一緒に考えたいことがあります。
 
そもそも、子供は自由に育てられたいと思っているのでしょうか?
 
もちろん不自由はイヤだと思いますが、お子さんによって自由の希求度も違うのかもしれません。
 
たとえば、作家の乙武洋匡さんは、小学校の教員経験から、学校に適していない子供は3~4割もいるとお考えのようです。
 
ただこれは、裏を返せば、不自由の代名詞のように言われる日本の学校のガッチガチのルールのなかでも、半分をはるかに超える人数の子たちがやっていけるということでもあります。
 

参考文献
乙武洋匡 『「学校に行けない」君に、どうしても伝えたいこと。』note

 
当然、教員側からの見方ですし、データがあるわけでもなく「肌感覚」とおっしゃっています。
 
ただ、長年カウンセラーをやっている私の実感と近い数値でもあります。
 
自由に育てられるのが向いてる子ばかりではない。
 
ましてや徹底的に自由に育ててもらいたいと思っている子は、どれくらいいるのか?
 
「自由な子」を育てるまえに、立ち止まって考える必要があると私は考えています。
 
 

┃無理やり自由に振るまわせるのが「親の役割」ではない

当たり前のことですが、無理やり自由に振る舞わせるのが親の「役割」ではありませんよね。
 
その「役割」のために、親子で苦しんでしまうのでは本末転倒です。
 
親にできるのは選択肢を用意するところまで。
 
自由を行使するのは子供自身。
 
では、親の「役割」とはなにか?
 
私は、「我が子の本質」と「社会から求められていること」の落としどころを調整していくのが親の役割だと考えています。
 
「我が子の本質」を時間をかけて見極めていく。
 
ただし、その本質が「社会からもとめられていること」とバッチリ合うとはかぎらない。
 
だから、その「両極」の落としどころを調整しつづけていく。
 
調整するだけではなく、調整しつづけていく。
 
それが親の「役割」なのかな、と考えています。
 
そこで用意できた選択肢なかで、どれを選ぶのかという自由を行使するところは、子供にかかっているのだと思います。
 
アダルトチルドレンパパママであれば、なおさらそのことを意識した方が、親子ともに「楽」になれるのではないでしょうか。
 
そう考えると「子供を自由にするぞ!」と前のめりに子育てするのではなく、
 
「不自由にならないようにさえしておけばいい」
 
と考えた方がいいのかもしれません。
 
いつも申し上げている「腰の引けた子育て」です。
 
なにかを足していくのではなく、不要なものを引いていく「引き算の子育て」ですね。
 

参照記事
「 我が子へのマナー - アダルトチルドレンの子育てでもっとも大切なこと
腰の引けた子育てについて詳しく解説しています。

参照記事
「 子供が自由に振るまえないのはなぜ?
子供の最低限の自由を守る方法について詳しく解説しています。

 
私たちアダルトチルドレンは、とかく子供に自由でいてもらいたいと強く願いがちです。
 
それは生い立ちを考えれば、仕方のないことなのだと思います。
 
だからこそ私たちは「子供に自由を強制していないか」を常にチェックしておく必要があると思うのです。
 
アダルトチルドレンの子育てを支える会会長
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり

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