我が子へのマナー第2回

┃「私の子供」の本当の意味とは?

子供を親の所有物にしないというタイトルを見て、
 
「そんなことは言われなくてもわかっている」
 
と感じる親御さんもいらっしゃるのではないかと思います。
 
でも、アダルトチルドレンだと自覚されている親御さんであれば、「子供を親の所有物にしない」と思って思い過ぎることはないでしょう。
 
私たち親という生きものは、自分の子のことを「私の子供」と表現しますよね。
 
親であれば、この表現にあまり違和感を覚えないのではないでしょうか。
 
ただ、この表現がなかなかのクセモノなのです。
 
なぜなら「私の子ども」という言葉には、じつは二つの意味があるからです。
 
「私の」という言葉は、よく「所有」を意味するときに使われますよね。
 
「私のおもちゃ」や「私のスマホ」といったような、「私に所有する権利があるもの」という意味です。
 
一方、たんなる自分との関係性をあらわすときにも「私の」という言葉を使いますよね。
 
「私の友人」や「私の先生」といった使い方です。
 
本来「私の子供」とは、私と子供との「関係性」をあらわしているに過ぎません。
 
「この人は、私にとっての子という立場です」という意味です。
 
しかし、じっさい「私の子供」という言葉には、やっぱり「友人」や「先生」とは違う、どこか「所有」のニュアンスが含まれているのではないでしょうか。
 
「これは私に所有権があるんです!」
 
「私だけのものなんです!」
 
という親の所有感が大いに含まれている。
 
これが、アダルトチルドレンに限らずほとんどの親の本音ではないでしょうか。
 
 

┃子供と親はまったくの別人

たしかに、親子関係というのは血縁ですので、そのつながりは独占的なものです。
 
じっさい、子供が犯した罪の責任も、当然のように親が負うことになっています。
 
そして、子供本人がなにもできないところから日夜懸命に育ててきたわけですから、「自分のもの」という感覚が出てくるのも当然のことでしょう。
 
しかし、子供と親はまったくの別人です。
 
生まれてきたら最後、その子はその子の意志をもち、その子の人格をもって、その子の人生を歩みはじめます。
 
子供は親の一部でもなければ、分身でもない。
 
完全なる別人。
 
それが事実です。
 
にもかかわらず、親は子供をどうしても自分の一部、自分の分身と考えてしまいがちです。
 
自然とそう思ってしまったり、そう思いたくなるのは、私も親としてとてもよくわかる感覚です。
 
でも、そう思いたいのは親の都合でしかないのではないでしょうか?
 
子供の側からすれば、月日の流れとともにどんどん親から離れていこうとします。
 
それは私たち自身も、子供のころにでじっさいに体験してきたことですよね。
 
にもかかわらず、自分が親になってみると、子供を所有したいと思い、自分の一部だと思い、自分の分身だと思いたくなる。
 
これは、親の依存です。
 
とくにアダルトチルドレンだと自覚している人は、どうしても子供への依存感が強くなります。
 
やっぱり、深いところで愛が枯渇している。
 
いつでも、強いさみしさを抱えている。
 
だから、どうしても自分の一部、自分の分身だと心の底から思える存在が欲しくなる。
 
この強い思いは消えることはない。
 
だから、どうしても潜在的に子供に依存してしまう・・・。
 
子供は、アダルトチルドレンが唯一手に入れた、無条件に自分を慕ってくれるけがえのない存在です。
 
突き放しても自分を求めてくれる、唯一の存在です。
 
だから、ついつい「親と子供はまったく別人だ」という事実を忘れてしまう。
 
いえ、わかっていても認められないことがあるのです。
 
 

┃過干渉や暴言は子供への所有感のあらわれ

親が子供への「所有感」に気づかずに接していると、どうしても過干渉になってしまいます。
 
自分の髪形をなおすように、子供の性格を自分の思いどおりになおそうとしてしまいます。
 
また、ささいなことでキレたり暴言を吐いてしまうこともあります。
 
「所有」しているわけですから、まさに自分のものです。
 
どう扱おうと自分の勝手。
 
自分のカバンを放り投げるように、誰にも遠慮することなく、自分の感情を子供にぶつけてしまう。
 
遠慮する相手として子供が含まれていないのです。
 
だからアダルトチルドレンの子育てにとって重要なのは、自分が子供に「所有感」をもっていないか確認することです。
 
たぶん所有感が「ゼロ」であるという親御さんは、ほとんどいないでしょう。
 
そう言えるくらい、あって当然の感覚。
 
もっていることに罪悪感を覚えない感覚です。
 
しかし、人との距離をとるのが苦手なアダルトチルドレンは、この「所有感」をハッキリと自覚しておく必要があります。
 
そうしなければ、あっさりと、いともかんたんに「子供の陣地」に踏み込んでしまう。
 
そして子供をコントロールし、子供を傷つけ、子供を抑圧してしまうからです。
 
だからまずは「所有感」を自覚する。
 
そして「親と子供はまったくの別人」ということを自覚しておく。
 
これらの自覚があるだけで、子供に対して上手に「腰の引けた子育て」ができて、適切な距離感がつかめてくるはずです。
 

参照記事
・ アダルトチルドレンの子育てでもっとも大切なこと

┃子供は「私の宝物」ではない

宝箱に入ってはしゃぐ女の子

よく「子供は私の宝物です」とおっしゃる親御さんがおられますよね。
 
私もまったく同感です。
 
子供のうしろ姿を見ているだけで、「ああ、この子はなによりも大切な私の宝物だ」と涙がこぼれてきます。
 
しかし、たいへん残念なことですが、それも結局「所有感」だということ。
 
「私のもの」だという感覚のあらわれなのです。
 
子供は「私のもの」ではありません。
 
「宝物」であろうがなんであろうが、「私のもの」ではないのです。
 
せいぜい「私のもの」だと言っていいのは、自分の人生くらいのものでしょう。
 
だから言うなれば、その子と出会えた「私の人生」が宝物だということ。
 
その子の親になることができた「私の人生」が宝物だということです。
 
子供とは、「私の人生」を宝物にしてくれたかけがえのない恩人なのです。
 
子を大切に思えばこそ、子を自分のものだと思ってはいけない。
 
子を育てる責任を負い、そのために自分の人生を賭けたとしても、それは親が勝手にやったこと。
 
どんなに子供に尽くしたとしても、その子を「自分のもの」だ言う権利は、私たち親にはひとかけらも残されていないのです。
 
アダルトチルドレンの子育てを支える会会長
生きづらさ専門カウンセラー
しのぶ かつのり

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